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2005/09

09/30

ほんとうはあるのか。

東京都美術館

友達と上野の東京都美術館に行って、「ルーヴル美術館所蔵 古代エジプト展」を見る。

というよりも、人の山を見る。人の壁を見る。見た。疲れた。

中国語で質問されたので、英語で答えた。

六本木ヒルズ

さらに N さんと六本木ヒルズで合流。ふーん、こんなところなんだ……。

森アーツセンターギャラリーで「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」を観る。目玉の直筆ノート「レスター手稿」は、素晴らしく面白い。見ていてわくわくしてくる。興味がなくても、あの追い立てられるような変な展示方法を見るだけでも価値があるかも。まあ、手稿以外はどうでもいい感じですが。鏡面文字で non valid と読めたのが嬉しかったからか、図録とレプリカを購入。

N さんと別れてから、同じ券で入れるということで、ついでに森美術館で「杉本 博司:時間の終わり」。んー……? ちょっと不快。

夜景を見ながらぽつぽつと話してると、終電。最近終電が多すぎます。

09/29

消しそしそび。

阪神優勝

といっても、東京ではねえ……。前回は Scotland でしたけど。

「鳥の詩」盗作事件

というのが少し前に話題になってましたが、懐かしい Woody-Rinn さんのところを久しぶりに覗いてみると、

をぃ、これ、私のピアノアレンジそのまんまやん!!!

……あらあら。まあ、今もお元気そうで何よりです。

09/28

可愛らしい手鞠のようなトラウマ。

炉開き

早くも11月の声が聞こえてきたような気がしないでもないので、今日から炉の点前。少し寒くなってきました。

09/25

おどろきのあらしのあとのほしぞらにためいきそしてしずかなねがい

日本民藝館

これまでなぜか行ったことが無かった駒場の日本民藝館を訪れて、特別展「琉球の美」を観る。今日が最終日。

日本民藝館を設立したのは、民藝運動の父とも呼ばれる柳宗悦。芸術新潮の7月号特集「日本民藝館へいこう」を図書館でたまたま見かけてから、彼と日本民藝館のことが気になっていました。今はちょうど、講談社学術文庫の「茶と美」をゆっくり読んでいる所です。

それで今回の展示ですが、はっきり言って面白くありませんでした。「茶と美」を読んでいて思うのですが、彼は抽象論ではいいことを言っているのです。でも、具体的に何が美しいのかといった話になると、僕の感覚ではついていけません。それでもまだ琉球のものはいいですが、朝鮮のものになるともうさっぱりです。たまにピンとくるものがあるかと思えば、そういうのはことごとく中国のものでした。

むしろ興味を持ったのは、建物そのものと、展示の方法。さりげなく部屋の隅に不思議な甕がむき出しで置いてあったりします。

いちばん美しいと思ったのは、甕が5つほど、屋外の白州に並べて置いてあったもの。日光に照らされているのをガラス越しに見たとき、実際に使われている姿が美しいという宗悦の声に納得しました。が、対照的に展示品がくすんで見えたのは皮肉ですね。

太田記念美術館

原宿の太田記念美術館で、「全揃い冨嶽三十六景展」。これまた最終日。外国の人が多い。

日本民藝館とは打って変わって、すごく面白い展示。浮世絵なんて、有名な作品の名前ぐらいは知っていても、実物を見る機会はそう多くありませんからね。冨嶽三十六景が三十六枚に収まらないことすら、全然知りませんでしたよ。

有名どころも面白いですが、それ以外の意外性がもっと面白い。へー、こんなのも……という。構図とか風の表現とか、すごいすごい。写真で見ても全然面白くないのに、不思議な話です。

秋葉原

S と秋葉原のヨドバシカメラ前で待ち合わせ。あー、秋葉原がこんな風になるんだ……。

秋葉原に来たのがずいぶん久しぶりなので、とりあえず東方花映塚を確保。あと、手持ちのお金が許す限りで Alstroemeria Records の CD を3枚買う(ARCD0002, 0005, 0007)。去年冬の「舞」(ARCD0004)が結構お気に入りだったので。

食べたりしゃべったり歩いたり某ホテルに行ったり(謎)していると終電。

09/24

見たのである。じかに見たのである。

交流会

新宿で大学茶道部の交流会。疲れがー。

梅田阪急コンコース

いくつか、気になるコメントがありました。まずは、ある blog より

建築的価値のあるものの保存活動に於いて、専門家は大抵、「〜設計だから、残すべきだ」と訴えます。今回も壁画とシャンデリアは新店舗のどこかで利用されるということになったのは、そのような伊藤忠太の設計したものを惜しむ「専門家」の意見によるものだと思います。

しかし、町の人々にとっては、「伊藤忠太がどうしてん!」と思うのです。人々があそこに愛着を持っているのは、決して伊藤忠太設計だからではないはずです。

けれど、専門家にしてみれば、「あ〜伊藤忠太の壁画とシャンデリアが残るならいいか」みたいなことで、今回の事態になっているのかもしれません。

もうひとつ、似たようなコメント

まずは解体を免れた設計者の伊東忠太によるモザイク壁画。この壁画の保存が可能になったことで、建築業界の人たちは「御の字」ってことにしてしまったのかな〜って気がする。

お二人とも建築業界に疎い人ではないようなので、発言には重みがあります。

あまりにも日常の中に溶け込んでいたせいか、改装前の旧コンコースを写した写真はそれほど多くは見つけられません。雰囲気を知りたいのなら、例えばこんな写真。ちょっと格好良すぎるかもしれませんけど。

全てをそのまま残すことはもう無理だし、それは必ずしも望む所ではありません。問題は、何を残して何を残さないのかという選択にこそあります。そしてきっと、「伊藤忠太がどないやねん」という声は消えないのです。

09/23

眠れないのもひもひ。

ABUロボコン2005

微妙に関係のある人がABUロボコン優勝チームに入っているらしいので、友達の家でテレビ放送を見させてもらう。いやはや、素晴らしい。中華文明の真髄ここに見たり。

東京都写真美術館 ブラッサイ

嬉しいことにチケットを持っている友達が誘ってくれたので、写美に行って「Brassaï ブラッサイ―ポンピドゥーセンター・コレクション展」を見る。意外なほどに人が多くてびっくり。ついでに、足が全然耐えられないのにもびっくり。

ブラッサイはパリの夜という主題で有名らしいけれど、それだからか、個人的には昼に撮られた写真のほうに惹かれた。特に、MoMA に出したという「リヴィエラ」はぞくっとさせられる作品。風船売り、八百屋、行き倒れの同一視点からの写真群も面白い。多くの作品に鏡が使われていて、その使い方に興味を持っていたらしいことが伺えた。

そしてこの展覧会をより良くしていたのは、普通言う所の写真以外の展示もあったこと。石の彫塑はかなりの出来で、ため息の出るような曲線美がたくさん。その中でも「黒いヴィーナス2」の輪郭は驚異的だったと思う。鳥も見ていて楽しい。さらに、最初は何がなんだかさっぱり理解できなかったガラス版画。「マンドリン」と名付けられた作品がお気に入り。

写真というものに複雑な感情を抱いているのもあってこれまで写真展にはほとんど行ったことがなかったけれど、こんな展覧会なら積極的に観に行ってもいいと思う。行けてよかった。

大・大阪博覧会

渋谷の東急東横で「なにわ うまいもん市」なるものが開かれているので、久しぶりに551の豚まんでも食べるとかと思って行ってみると、人・人・人……。蓬莱は1時間半待ちとか2時間待ちとか。いや、豚まんとかそこまで並んで買うものじゃないでしょうに。だいたい、2時間もあればほとんど大阪まで行けてしまうんですが。

結局、人の並んでいない所で釣鐘屋本舗の一口カステラとか大寅の天ぷらとかを購入。こういうのも美味しいんですけどね。友達の家に手土産として持っていって、暗い中おしゃべり。

09/22

素数は孤独を癒してくれる。

サッカー練習

浅草と新宿に行ったあと、総長杯に向けて駒場公園でサッカー練習。激しい運動は久しぶりだから、これは応えるなあ。

留学回顧 - 生活

渡英してすぐの頃は、家を中心として徐々に環境に慣れようとする日々が続きました。家の近くの Somerfield に行って買い物したり、Stirling の街を歩いてみたり、近所の人に挨拶したり。といっても、ほとんど引きこもりに近かったような気もしますが……。環境の変化に加えて精神的なストレスもあったからでしょうか、その影響が身体にも出て大変でした。大学が始まるまでに猶予期間があってよかったと思います。

一旦大学が始まってしまえば、その時間割(前期後期)に合わせた生活に。St Ninians に住んでいた前半は、近くの roundabout にあるバス停から Edinburgh まで Citylink で1時間弱ほどかけて通っていました。その日の大学での予定が終わると、1時間に1本しかないバスの時間を考えて、少し余裕があるようならお店を覗いたりしてから帰路に着く毎日。Edinburgh に一日出ると体はもうぐったりで、帰りはいつもぐっすりでした。乗り過ごさないように首から時計をぶらさげて鳴らしていたこともありましたが、それでもバスで眼鏡を失くしましたしね。

4月には引越しがあり、Stirling University 内の某所に住むことになりました。Stirling と名前がついてはいるものの、実際には半分山の中で、どちらかというと Bridge of Allan に近いぐらい。でも、あの環境は素晴らしかった。まず、家があるのは緑に包まれた丘の上。それを出ていかにも Scottish な坂を下ると目に入るのが Airthrey Castle で、その後ろに控えるのは広大で美しいキャンパス。湖には鴨と白鳥、芝には兎、木にはリス。Bridge of Allan のバス停まで行くのも一苦労で、通学にかかる時間はさらに延びましたが、あの大学で暮らすことができたのは本当に貴重な経験でした。

休みの日には小旅行もしましたが、近所の人々との交流もまた印象に残るものでした。日頃 tea に招かれたり招いたりというのはもちろんのこと、節目の日には通りの住人が集まって、パーティが開かれるのでした。Christmas もそうですが、顔を赤くしながら真夜中に hamburger を焼いていた Hogmanay の夜のことをよく覚えています。最後に日本に帰るというとき、家に招いてもらったり、Tolbooth での Ceilidh に誘ってもらったのもいい思い出です。

09/21

マボロシでござりんす。

諏訪湖SA

東京へ向かう夜行バスが二度目の休憩に停まったのは、なんと諏訪湖SA。一気に目が覚めて、寒ささえ感じる外気温にどきどきでした。一度は計画した諏訪巡り、やはり近いうちに実現しないと。

東京・大阪間の夜行バスは東名を通るものだと思い込んでいましたが、中央道経由のものもあるんですね。

夢の見方

この前の経験をベースに過去を振り返ってみると、僕が夢の内容をほとんど覚えていないのは、記憶を夢だと判断した瞬間にその記憶を抹消(或いは封印・アクセス禁止)する作用が働いているからのような気がしてきた。

でも、いつから夢の内容を覚えられなくなったんだろう。夢をはっきり認識できなくなってから、もうずいぶん経つはず。中学校の時分には既に今とあまり変わらない状態だったと思うのだけど、少なくとも幼少の頃ははっきりと思い出せていたはずなのに。

09/20

笑われても気にならない、というのは嘘だけれど。

そごう心斎橋本店

まあ一応見ておこうか、と心斎橋そごうへ。うまく流行を取り入れているけれど、どちらかというと大阪ではなくて神戸っぽい雰囲気。母曰く、神戸阪急とホテル阪急インターナショナルを足して2で割ったような感じ。大阪の人が潜在的に持っている神戸への憧れの具現化でしょうか。

笑ったのは、礼装でない男の着物をさっぱり在庫していなかったこと。お隣の大丸さんに比べてこれではそごうの名が泣きますわ、子供騙しの「商店街」なんぞこしらえて喜んどる場合とちゃいまっせ。

09/19

終に物の怪の気を解す。

留学回顧 - 目標

まず第一の目標は、無事に生きて帰ってくること。半分冗談のように言ってはいましたが、かなり真面目な話です。なにしろ、留学を真剣に検討し始めたのは未だ 9.11 も記憶に新しい頃。ただでさえ異邦の地での生活に大きな不安を感じているのに、世界情勢が僕のリスク評価をさらに厳しいものにしました。

第二に、「外国」をできるだけ多くの角度から眺め、肌で感じてくること。生活してみて初めて分かることを吸収すること。実体験で知識の裏付けを取り、必要とあらば新しく塗りかえること。できれば、英国以外のヨーロッパ諸国も見てまわること。これらのことを通じて、これから僕が生きていく中で、あるいは日本を見つめる際に、多角的に展開できる素材としての経験を積み上げていくこと。

この二つでもう全てが終わったようなものですが、三つ目を挙げるならば、大学での勉強に食らい付くこと。当然全てが英語で、何をしようとするのか、何ができて何ができないのか、出発前にはまるで予想できません。そもそも大学のシステムが違います。必死にがんばることで並み居る壁をどこまで乗り越えられるのか、それを見極めたい。

第四に、英語を一応は使えるようにすること。大好きな言語というわけではないけれど、この世界での有用性は誰もが認めるところ。それまでの頭でっかちな理解を、どのようにして使える形に落とすことができるか。実際の所、使われている英語はどんなものか。何が重要で、何を妥協しても問題ないのか。

さらに、五つ目には人的ネットワークを形成すること。ひどく簡単に言えば、友達をたくさん作ること。僕の性格を考えれば、今回これを十分に達成するのは高望みでしょうが、希望としては残しておきたい。もしうまくいけば、何物にも代えがたい宝物になる、かもしれない。

そして、もうひとつだけ。楽しむこと。

09/18

美化された思い出は捨てて、ピケを張るんだ!

香雪美術館

成り行きで、家族一緒に御影の香雪美術館へ。きれいな建物。あまり時間が無かったので、秋季企画展「美しい古筆(和歌)の魅力と唐物・和物 香合の名品」をさらっと観る。

なぜか未だに茶器を見たい気分が続いているので、まあぼちぼちと。最も印象に残っているのは、明代の祥瑞蜜柑香合。他には、仁清のうさぎさんの可愛い造形が微笑ましい。香合は焼き物に偏っていて、塗り物が少なめだったような。古筆では、職人 T の日記で見た松花堂昭乗の名もちらほら。

Charlie and the Chocolate Factory

美術館のあと、梅田に移って映画「チャーリーとチョコレート工場」を観る。あまり深く考えずに、楽しい作品だと言っていいと思う。根底で原作を尊重しているような雰囲気をなんとなく感じたのが好印象。

09/17

600えん。

梅田阪急コンコース

うめだ阪急の(旧)コンコースが何の味気も無い姿になっていて驚いたのは、二月ほど前に帰省したとき。今や南側のスペースもフェンスで囲われ始め、解体が近くに迫っているらしいことが伺えます。

あの空間は……どう言えばいいのでしょうか、ただとにかく、阪急を象徴する場所だったと思います。僕の好きな阪急は、いつもこの空間と共にありました。いつ通っても明るい場所ではなかったけれど、地下から上がった所であの気品ただよう世界が広がっているのを見ると、ああ梅田に来たんだな、という実感が湧いてきて、どこかわくわくする気持ちのみならず微かな懐かしささえも感じるのでした。

そのコンコースが、姿を大きく変えます。僕がそれを初めて知ったのは7月に帰省したときですが、実は2月7日の時点で阪急電鉄からニュースリリースが出ていたのでした。そして今月になって、昔の趣が消えてしまうことを各メディアが報道し、多くの人々に衝撃を与えました。

今、いつもなら人々が忙しく行き交うだけの現場では解体を惜しむ人々が足を止め、写真を撮っています。どうにかしてあの空間を残す術は無いのだろうかと、blog を作る人も現れました。古いコンコースを残さないという方針を採った阪急を、激しく非難する人もいます。小林一三氏の理念を今の経営陣がどれだけ受け継いでいるというのか。バブルでさんざん暖簾に傷をつけまくって見苦しい姿を晒しておきながら、大食堂の改悪だけでは飽き足らず、ついにはあの宝物まで潰そうだなんて。

ただ僕は、あの空間をそのまま残せばいいという問題でもないと思うのです。少なくとも、百貨店の改築は必要です。開店から70年、改修を重ねてはいるものの、やはり設計の古さや老朽化は隠し切れません。さらに、心斎橋そごうの復活に加え、新たに梅田に飛び込んでくる三越など、大阪の百貨店の勢力図が大きく変わろうとしています。そのような状況で、百貨店の改築を決めたこと自体は賢明な判断だろうと思います。

さらに、あのコンコースをそのまま残すのでは、「新しくなった阪急」を強くアピールするのは難しいだろうことも理解できるでしょう。百貨店に来る客のほとんどは、地下から入るか、あのコンコース経由です。客が外観を目にするといえば、JR大阪駅前のバスターミナルからの視点以外にまず考えられませんが、近年のバスターミナル改修で空が見えにくくなり、これも望み薄だと思います。ですからコンコースを刷新したいという意向も当然なのですが、それは、あの空間が阪急のイメージに与える影響がそれだけ大きいということの裏返しでもあります。

この問題が大きな反応を呼んでいる原因のひとつには、ニュースリリースで示されている新コンコースのイメージがあまりに酷いというのもあると思います。いや、普通に考えれば、きれいで明るくていい空間じゃないかと思えるのかもしれません。しかし阪急を愛する人々にとってみれば、あれをそのまま受け入れるのは抵抗が大きいでしょう……。「阪急的な」センスがあまりに無さ過ぎるのです。

少なくとも改築は避けられないし、コンコースをそのまま残すのも難しい。でも、完全になくしてしまうには余りにも惜しい空間で、多くの人々に愛されている空間でもある。力のある建築家やデザイナーが真に必要とされるのは、例えばこんな場面なのでしょうね。望ましいのは、新しくなる阪急を印象付けられるような空間であり、なおかつ昔の趣が少なからず残っていて、大阪の人々に愛され続ける空間。そんな空間をデザインできる人がいればいいのですが……。

[表紙絵] 梅田阪急コンコース

梅田の地下鉄駅を繋ぐ地下街、ホワイティ梅田からコンコースへ上がった所に広がる空間であり、地下街と阪急梅田駅を結ぶ動線の要。伊藤忠太氏のモザイク画に囲まれたシャンデリアの下を、大阪の通勤客が足早に通り過ぎる。

僕も、この場所を何度通っただろう。撤去を惜しむ声のあまりの大きさに、モザイク画は新コンコースで活用されることが決まった。でも、おそらくは、それだけで納得できる問題ではない……。

09/16

とてもじゃないけど、さりげなく目線を外す余裕は無かったね。

夢のあと

朝、実家でシャワーを浴びていると、夜行バスで見ていた夢を思い出した。思い出したというよりも、夢と現実の曖昧な境目をはっきりさせたと表現するほうが適切ではある。

よほど夢の内容を覚えているのが苦痛なのか、そう言っている間にも記憶はどんどん薄れていっているのだけれど、それでもただひたすらに甘い夢だったのは覚えている。それも、許されないほどに甘い夢。

許されないほどに。

09/15

やっぱり、変な人が多いんですね。

留学回顧 - 動機

基本的に動機は極めて単純で、親の仕事があったから。ただ、当時既に東京に住んでいたわけで、必ずしも親についていく必要はありませんでした。日本に残るという選択肢もあったのに、それを選ばなかった理由が問題です。

まず前提として、非常にしばしば勘違いされていますが、僕は(日本に比べ、相対的に)外国が好きではありません。さらに外国に住むとなれば、慣れない環境での暮らしには、容易に考え付くだけでもうんざりするほどたくさんの障壁が待ち受けています。だから、放っておけば、僕が進んで外国に住むなどという事態は考えられません。

しかし一方で、日本で生きていく上でも外国の存在を無視することなどできないということと、百聞は一見に如かず、伝聞だけで何かを分かった気になるのは非常に危険だということも承知しています。したがって、実際に(できれば中期間)外国に身を置く経験の必要性は認めざるを得ません。

つまり、海外で暮らすという経験が必要だろうと分かってはいるけれど、自分一人ではおそらく実行しない。それが僕の実際で、そういう状況に降って湧いたのが、親の仕事の話だったのです。家族と一緒、それも一年だけならば、外国暮らしもありではないかと思いました。というのも、海外での生活でこれ以上環境リスクを抑えられる状況はまず考えられませんから。大学に入ったばかりでしがらみも少ない時期、このチャンスを逃すというのは惜しい話でした。

なお、蛇足として付け加えるならば、高三のときに相談に行った British Council で、「まだ大学にも入つてゐないのに大層な話をする奴だ、できると思ふなら勝手にやつてみたまへ」(意訳)と鼻で笑われたのも意外に大きな要素かもしれません。

09/14

うぬーめ、あお。

秋合宿

金沢21世紀美術館の茶室を借りての秋合宿が、3日間の日程を終えて無事終了。金沢に行くのも初めてだし、東京の空港を使うのも国内線を使うのも初めてで、もちろん羽田空港第2ターミナルも初めて。

担当諸氏の奮闘が実って、なにかと危惧されていたわりには、それなりに順調で普通な合宿に。少な目の人数もゆるい統制にはちょうどいい位で、適度にネタも散りばめられた楽しい旅になりました。

09/11

婆、沈む風船の行き先を知っているか。

目黒のさんま祭り

連れ立って目黒のさんま祭りへ。

10時過ぎに行ったのに、並びすぎ……ということで、フリマ見たりお餅食べたりすだちジュース飲んだりすだちゼリー食べたり風船もらったり福引きしたりして、寄席までの時間を潰す。

寄席、満足。

やっと短くなってきた列に並んでしばらくすると雨が降り出して、あっという間に豪雨に。これほどひどい雨は久しぶりです、ということでみんなびしょ濡れ、大笑い。さんまもお流れ。

渋谷でひとつ予定があったけど、風邪を引きそうだったし、いろいろ間違ってしまったので、諦めて帰宅。

衆議院議員選挙

帰ってから投票。次は朝のうちに投票しておこう。

09/10

十中の八九は、みじめに失敗することを覚悟されよ。

手洗いの戦い

朝。今なら勝てる、とばかりに一撃を加えて粉砕。

国立西洋美術館 ドレスデン国立美術館展

連れ立って上野の国立西洋美術館へ。日本におけるドイツ年の目玉企画のひとつ、ドレスデン国立美術館展がお目当てです。朝一で美術館に行ったのはこれが初めてでしたが、やはり開館前から人が並んでいるものなんですね。

とにかく強烈なのは、コレクションの規模。よくもまあ節操無しにこれだけのものを集められたものだ……と言いたくなります。でも、実際にドレスデン国立美術館に足を運んだとするとルーヴルのように嫌気が差しそうな気がするので、これだけの量に抑えて一通り見られたのは幸運だったんじゃないでしょうか。

個々の印象でいうと、まずは最初の充実した科学器具が貴重。歴代選帝侯が使っていたという定規の傷が、その時代を感じさせます。その他、カナレットのエッチングを間近でじっくり眺めて、驚異的な感覚にため息をついたり。有名な絵でいえば、フェルメールの「窓辺で手紙を読む若い女」。なぜか手前のベッド上のお皿と果物が妙に気になったのが不思議です。その他は、まあそれなりに。「ガニュメデスの誘拐」の人物像が子供の母親ってのはどうして分かるんでしょう。

終わってみれば、この特別展だけで3時間半。自分一人なら途中でくじけてたかもしれませんが、ちゃんと最後まで見ることができたのが嬉しい。展示の仕方も、関係する作品を比較しやすいように配置してあって、興味を持ちやすかったのが○。大いに満足です。

東京藝大裏千家茶会

さらに連れ立って、すぐそばにある芸大のお茶会へ。学園祭のお茶会なので、まったり正客。……とか言いつつお菓子の取り箸をいきなり落としたりしてがっくり。修行不足。

あとは、学園祭とか学内の美術館をぶらぶら。

尺八演奏会

桃林堂で小鯛焼を求めてさあ帰ろうかというところで、意外にも M 君に遭遇。芸大尺八専攻の人たちの演奏を聴きにいくところらしく、これも何かの縁だろうということで、僕も一緒に聴きにいく。

疲れが出たのか、序盤はずっと起きてるのか寝てるのか分からない(でもとりあえず拍手はしている)状態で、M 君に心配される始末。うう、申し訳ない。でも後半はちゃんと聴きましたよ。どちらかというと箏のほうに感銘を受けたのは秘密ですが。

これも思ったより長くて、2時間強。うーん、今日は盛りだくさんな一日でした。

シャープペンシル紛失

慣れないことをしたら、愛用のシャープペンを紛失。ちゃんと予備は用意してあるのでいきなり困るわけではありませんが、それでもがっくし。

前に失くしたのは一昨年の5月だと思うので、先代は2年と4ヶ月ぐらい使ってたわけですね。はっきり覚えてないけど、これで4代目に入ったのかな。

あたまわるい

相変わらず、ちょっと気を抜くと勢いで押し潰されそう。一体これは何なんだろう……。

09/09

笑ってさしあげますので。

畠山記念館

連れ立って五反田から畠山記念館へ。もう遅いような気はしますが、一応夏季展「季節の茶道具取り合せ」。石畳の苔はもうなくなっていました。

特にどれがすごく良かったということはありませんでしたが、ゆっくりまったり鑑賞。一つ取り上げるとすれば、狩野常信の瀧図かな。ただ、なんとなく茶器を見たい気分だったので、それがほとんど無いのは残念でした。

展示品は決して多くはありませんが、人が多すぎたり騒がしいことはないし、正面に正座して鑑賞できる場所もある。規模も環境も、僕にはこれぐらいが適当なのかもしれません。

7025 Franklin Avenue

五反田に行く機会はそう多くないと思うので、7025 フランクリン・アベニューにも足を伸ばす。実際に行ってみると、普通は見過ごしてしまうようなお店。

頼んだのは、マッシュルームバーガーのチーズ載せとフレンチフライ。確かに高いのは事実ですが、値段分には美味しいです。くるくる巻きのフライは見た目が楽しいけど、味はちょっと好みと違うなあ……。

全体的に明るくて少し上品で、女性受けしそうな印象。でもどちらかというと、僕には FIRE HOUSE のほうが合ってるかも。

美術博物館 錯覚展

渋谷の Apple store で iPod nano を見てから図書館に寄って、美術博物館で錯覚展も見ておく。まあ面白いのですが、中高生が対象らしいので、ちょっと物足りないような。

違和感と焦燥と

言いようがない感覚だけれども、何かヘン……。これ以上何に戸惑う必要があるというんだろう。たぶんこの不安感は演出ではないのだけど、空から延々と生み出されるこの心象が。

ただとてつもなく嫌な予感が。

ぎゃー

飛びすぎ ;-(

09/08

あなたには、そういうときに寄りかかる柱があるかしら?

東京国立博物館 遣唐使展

連れ立って上野の国立博物館へ。平成館で特別展「遣唐使と唐の美術」を観る。もうすぐ会期も終わってしまうからか、平日にもかかわらずなかなかに人多し。

目玉の墓誌は案外あっさりしていて、まあこんなものかという感じ。一番印象的だったのは並べて置いてある同時代の2枚の鏡で、螺鈿で装飾されたほうはボロボロになっているのに、金銀飾りのもう一方は鮮やかにその形を留めていて、対照的な姿がいかにも面白い。あと、小さな金龍のペアが可愛らしくて反則だと思います。

横でやっている模写/模造の特別展もなかなか。数が多くてややマンネリ気味ですが、あれだけの人をさばくにはあの程度が良いんでしょう。夏休み企画の実体験コーナーはいい感じの刺激になっています。そのあとは本館の中をぶらぶら。

iPod nano 発表

噂通りのフラッシュメモリタイプ。HDD を持ち歩くという発想が無い人たちには待望の品でしょうか。

これなら買ってもいいかなあとは思いますが、どうせ使う機会は少ないので買うことはないでしょうね。むしろ第一世代から見ている身としては、Rio の撤退が寂しいです。

先日お友達にお会いしましたよ

先日と同じような時刻に同じような場所で同じような姿の敵とセカンド・コンタクト。間隔が短すぎ。

要対策。

09/05

その女の子が言うには、星が点いたり消えたりしている――らしい。

2年も経てばずいぶん弱くなるものだ。

聖地巡礼。

これは……開けていいのか?

深い霧の中、先の見えない下り坂を転がり落ちる。

09/04

接着された砂時計はひっくり返せないと思うがね。

はじめまして、さようなら

日付が変わった頃、壁を這う黒い敵とファースト・コンタクト。結構大きい。

噴霧できる洗剤が無い上に、夜中なので大きな音をたてるわけにもいかず、動きを監視しつつ作戦を練る。食料保管庫を這い回るのをもどかしく思っていると、バナナの袋に入った模様。あらあら、お馬鹿さん。

ってことで、袋の口をひょいと捻ってポイ。腐りかけのバナナが少し犠牲になったけど、手を一切汚さずに退治できたのは高ポイント。

09/03

潜水服を今にも破いてしまいそう。

相対性理論と

一ヶ月前の席で、大きな影響を受けた本は何かという話が出た。あるいはもっと単純に、好きな本を聞かれただけだったかもしれない。でもいずれにせよ、僕はいつもこの手の質問に答えられない。このことは中高の文集でいつか書いたと思う。

このときも、いつものように頭を捻ることになった。真剣に考えてはいたけれど、結局は答えられずに終わってしまうだろうことも十分に予想できていた――はずだった。だから、こんな言葉が、すっと口から出てきたのは意外だったのだ。

「アインシュタインの『相対性理論』かなぁ」

周りの人も驚いていた(というよりは引いていた:p)けれど、きっと一番驚いたのは自分だったと思う。高校のときに岩波文庫のあの本を買ったのは事実だし、一応は目を通したのも確かではある。でも、内容をよく理解できたとはとても言えないし、何度も読み返すということも無かったのだから。当時、相対性理論自体の重要性はおぼろげながら理解しつつあったものの、この本には何の思い入れも感じていなかった。

これは本当に衝撃的な出来事だったので、なぜそんな言葉が口をついて出たのか、それから折に触れて考えることになった。どうしてあの本が頭に浮かんだのか探りながら、僕と相対性理論との繋がりを思い出していった。そして分かってきたのは、あの言葉は僕に影響を与えた考え方を間接的に示してはいるけれども、質問の答えにはなっていなかったということだった。

振り返ってみれば相対性というのは、中学の終わりから高校の中頃にかけての一つのキーワードだった。相対性というよりは、比較と言ったほうがいいのかもしれない。もしくは絶対的なもの、つまりは基準がどこに存在するのかという問い。人の扱う概念のうち極めて多くが比較という手法から生まれていると気付いたとき、世界が急に広がったように感じたものだ。

でも、これと相対性理論に直接の関係は無かった。ましてや、あの薄っぺらい岩波文庫になんて何の繋がりも無かったと思う。もちろん、僕を惹きつけていた比較という概念と相対性理論の根底に、共通部分が無いわけではない。しかしそれは後から考えたときの話で、その時比較に興味を持っていたのは相対性理論を学んだのがきっかけではなかった。あの本との出会いを、大切な経験と言うわけにはいかないのだ。

相対性理論という名前があのとき出てきたのは、僕が大切だと思っている概念からただ連想されただけだったのだろうと思う。完全に的外れではないけれども、答えとしてはさっぱりだと言うしかない。何か大切なことが隠されているということもなく、結局、いつもの問題は未解決のまま残った。次にまた同じことを聞かれた暁には、さて僕は何を思うだろうか。

不完全性定理が

ちなみに、上でいうアインシュタインの「相対性理論」と似た位置付けになる予定の本が一冊あります。ホフスタッターの「ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環」がそれです。

比較の後に興味が移ったのが、不完全性定理(と呼ばれると後で知ったもの)でした。これも、ゲーデルのことを知っていたから不完全性定理に興味を持ったのではなくて、ただ自分でぼんやりと気にしていたことが、(もっと完全な形で)既に証明されていると後で知っただけでした。

だから、「ゲーデル,エッシャー,バッハ―あるいは不思議の環」を読んでも、それは僕に大きな影響を与えた本にはならないような気がします。きっとその内容に感激するだろうことは間違いないのですが、それでもそういうものなんです。

この本の存在を知っても、これは手に負えないだろうと思って高校のときは敬遠していたけれど、そろそろ向き合ってもいいのかもしれませんね。R 氏が心動かされていたのも、至極自然な話だったでしょう?

09/01

菜の花を描写する必要など無かったのです。

煩悩に負けた……?

それよりも、力学の解答用紙の科目欄に「熱力学」とばっちり書いたような記憶が……。まさかそんな。ははは。

また大人っぽくなっちゃうなんて、罪な話。

留学回顧 - 序

今日で、英国から帰ってきてちょうど一年。